2013年3月1日金曜日

I-Picnicヨーロッパツアー9月16、17日 リラと再会 (2009/10/09)

9月16日 17日 
9時31分関空着。すぐにフィンエアーでチェックイン。 

関空発ヘルシンキ行き。座席は32A、隣は大手旅行会社の添乗員の女性。ドイツとオーストリアへのツアーガイドだと言う。シルバーウィーク前で旅行客が多く、満席だ。チキンのバジル風味、赤ワインを飲む。モニター画面でSHANGHAIというゲームをする。中級コースはうまく出来るようになるが、上級コースは難しい。ちょっと理不尽に難しい。まだまだ時間があるので、「April Bride」という余命1ヶ月の乳がんの女性が主人公の映画を見る。邦画はこれしかない。洋画もろくなものがない。主人公が亡くなりそうになった辺りで、「当機はまもなく高度を下げはじめ・・・、」とアナウンスが入る。お~、いいところなのに~、映画がストップしてしまった。映画とはいえ、人の死に立ち会ったので、なんだか厳粛な気分になる。主人公の女の子は、なかなかいい演技をしていた。


イミグレーションは簡単に通過。トランジットへ。 
18時30分、ウィーン空港着。CAT(市内行き電車)の駅へ。18時47分発。プラットホームの自販機で切符を買う。10ユーロ。ものすごいヘビーデューティーな電車がやってきた。市内どころか、モスクワまで走っていけそうだ。2階席に乗り込む。検札有り。ウィーンミッテ駅で、地下鉄U4に乗り換える。1、8ユーロ。終点のハイリゲンシュタットで下車。ターミナルで39Aのバスを待つが分かりにくい。なんとか乗り込む。チケットは地下鉄と共通。地図とにらめっこしながら、車外に目をこらし、トラムの線路を発見。これを目印に、ホテルの看板を見つけたので、下車。ウィーンに留学していた筒井はる香さんが紹介してくれたカイザー・フランツ・ヨゼフホテル、なかなか豪華なホテル。チェックインすると、W野村さんと藪ちゃんからのメッセージ。近くでご飯を食べているとのこと。出かけるが、道で出会う。おなかも機内食ばかり食べて、あんまり減っていなかったので、部屋に集まってビールを飲むことに。まずは、無地到着して、再会出来た。 

翌朝は8時に出発するので、22時頃お開き。幸弘さんと同室。今回の旅は、ずっとダブルベッドで寝ることになるのだった。シャワーを浴びて寝るが、2時頃目覚める。なかなか寝付けないが、朝までゴロゴロする。6時から1時間、ストレッチ。みんなが買ってくれた朝食を食べて、8時過ぎにタクシーで出発。8時25分頃、ウエスト・バンホフ駅到着、15ユーロ。大きいがちょっと寂れている。ブダペスト行きをはじめ、国際線列車がいっぱい停まっている。チケットを購入。一人片道35ユーロ。6人掛けのコンパートメントになった車両に乗り込む。結構古い車両。9時過ぎに出発。オーストリア内とハンガリー内で2度検札があるが、パスポートのチェックはなし。4人の両親や家族のことをお互いに話す。僕の父の行動療法のことが話題に。自閉症児をくすぐるっていう療法だ、
たぶん。今回のツアーで、行動療法は頻繁に使われた。みんなでくすぐり合うだけだが、なんだか盛り上がる。父は心理学の先生なのだ。 

ポプラ、楕円形の葉っぱの木、豆がぶら下がった木などが点々としている。黄色から緑までの色が曇り空の下に茫洋と続く。なんだか懐かしい気がする。1968年12月18日の昼過ぎに僕を生んだ母は、大阪市東淀川区にある淀川キリスト教会病院の窓から、青空をバックにしたポプラの木を見ていたそうだ。 

幸弘さんの携帯電話を借りて、ブダペストのリラに電話する。ジャワ留学中に知り合った友人。97年以来だから、12年振りにしゃべった。英語で手短に到着時間を知らせた。13時過ぎ、鉄骨の大きなアーチが広がったブダペスト・ケレティ(東)駅のたくさん並んだホームの端っこに電車が滑り込んだ。終着駅だった。服やおもちゃを売る露店が並んでいた。ジャワのような風景だと思った。リラと久々の再会。髪が少しショートになり、しわが少し増えたけどチャーミングな笑顔だった。目の色が薄くなったような気がした。インドネシア語でしゃべった。 

リラがチャーターした車で、友人の友人のフラットへ。駅から20分くらいのペスト地区にあった。古いアパートの1階には鉄格子がついたエレベーターがあり、3階へ上った。ドアを開けると中は広い部屋がたくさんあり、同居人が半分を使っているようで、残りの半分使っている友人が旅行中だったので僕たちに貸してくれたのだ。中はなかなかおしゃれになっていて、僕と幸弘さんがリビングの1段高くなったところにあるマットレスに、誠さんと藪ちゃんは2段ベッドがある奥の部屋を使うことになった。12月に籍を入れることになっている二人には、旅行の間中、ずいぶんと仲のいいところを見せつけられた。そういえば、ブダペストへの電車の中で、幸弘さんが読んでいる本の話をしてくれた。「アベリールとエロイーズ」。天才的な哲学者と聡明で早熟な少女との恋愛に関する書簡集。二人のことが頭にあって、自宅の本棚にあったのを持ってきたそうだ。 



アパートの下のミニマーケットでサンドウィッチを買う。冷蔵ケースにあるハムとチーズを選んでパンに挟んでもらう。リラがおごってくれた。車の中で、リラが鞄の中から生のパプリカと唐辛子を出して、サンドウィッチと一緒に食べた。なんとなくハンガリーでの旅がうまくいく予感がした。リラはよく気がきくのだ。リラの友人でやっぱりインドネシアへ留学していたアトムが合流した。リラの提案で、スロバキアとの国境に近いドナウ川が大きくカーブしているヴィシェグラードの辺りへ行くことになった。ブダペストから1時間ちょっとで到着。少し丘を上ったところにロッジがあり、テーブルがたくさんある半屋外で、小学生たちが凧を作っていた。ちょっと遠くまで、ピクニックに来ている感じだった。I-Picnicは、世界中の気持ちのよいところへ行って、即興をするグループなので、ハンガリーの田舎へ行ってみたいとリラにリクエストしていたのだ。 


凧を作っている小学生に少しずつちょっかいを出し、うまく踊りに引き込んだ。先生たちも楽しんでみている。そのうち、子どもたちが馬小屋に方へ走り出した。何十頭もいた。ヤギ、猫、犬もいっぱいいた。子どもたちと踊ったり、何度もかけっこをした。小学生と別れた後、ドナウの河畔へ移動した。砂地が広がっていて、釣り人が糸を垂れている。水は深い色合いで少しヌメッとした感じで揺らいでいる。とても静かで心が落ち着いていく。藪ちゃんが砂地に絵を描き、僕は誠さんの鍵ハモに少し絡んだりしながら、水際をすべるようにゆっくりと歩いた。川がすべてだった。幸弘さんが撮影をした。映像が楽しみだ。湖畔のレストランで夕食。僕は川魚のスープを頼んだ。 

ブダペストのフラットへ戻った。インドネシアに留学していたベジと奥さんのバーバラがやってきた。豚のインドネシア風カレーを作ってくれた。貴腐ワインで有名なトカイ産のワインと自家製のチェリーのシュナップスも持ってく来てくれた。ワインは開けずに、コーラのペットボトルに入ったシュナップスをみんなで飲んだが、これが抜群にうまかった。アトムがウクレレを弾き、夜更けまで盛り上がった。

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