2013年4月2日火曜日

ブダペスト〜ペルヒトルツドルフ (2009/11/05)

日記の時間が錯綜しまくっています。すみません。これは、9月に行ったI-Picnic中欧ツアーの日記です。ハンガリーからウィーン近郊のペルヒトルツドルフに戻って、ワークショップとコンサートをしました。 

9月17日 
何度か目を覚ましながら、7時前に起床。今日は天気が良さそうだ。昨夜ベジが作ったカレーを温め直して食べた。アトムが8時過ぎに迎えにきた。リラも合流して、徒歩でブダの丘へ向かった。丘の上にある城からブダペスト市内を見渡した。昨日の雨から一転していい天気だった。ドナウにはいくつも立派な橋が架かり、少しかすんだ空気の向こうに古い町並みが広がっていた。城の崖の下から吹き上げる風に鳩がたわむれていた。 


アトムが仕事で帰り、ベジがやってきた。アトムは貧しいけれど自由な仕事についていて、ベジはリッチな法律事務所で働いているとのことだった。リラは長くルフトハンザ航空で通訳として働いていたけど、事務に仕事が変わり、忙しい上に仕事が面白くなく、今回、数ヶ月ぶりに有給休暇を取ったそうだった。転職や結婚のことを考えているようだが、ブダペストは女性の人口の方が多いらしく、もういい男は残っていないとのことだった。外国人はどうなのかと聞くと、ハンガリー人でないと嫌だと即答した。リラのように海外生活を経験していたり、外国語が堪能でも、ハンガリーは独自の言葉や文化を持つからコミュニティが濃いのかなと思った。そんなところもジャワと似ている。 



ベジのワゴンに乗って、彼の家へ。市内中心部の公園に近い住宅地域。古い重厚なアパートの中庭に面している。家の中にしつらえた調度品は新しくて立派だった。所々にバリやジャワのお面やワヤンや布がある。応接間にはインコがいて、大きなタンスほどもあるあつらえた鳥かごが立派だった。書斎に荷物を置いて、徒歩で美術館へ向かった。途中、ハンガリーの農村祭りがあり、ナイフなどの工芸品や蜂蜜、ケーキ、シュナップス、ワインなどの食べ物の屋台が出ていた。特設舞台では民族舞踊のコンサート、移動式の小さな舞台では人形遣が賑やかに芸を披露していた。めちゃくちゃしょうもない芸だが、話術とからだの力量で通行人を引き止めていた。 


公園を抜けていくと、国立美術館へ到着。イタリア美術史が専門の幸弘さんがお目当てのバンコの絵を、まず見に行った。栄華を極めた王国の美術館は、あっちでもこっちでもガムランをやって、舞踊したらいいだろうな、という場所だらけだった。幸弘さんに案内してもらって絵を見るのは楽しかった。同じ時期のフレスコ画家でも、作家によって全然美的な感覚が違って、「この絵はどう思います、佐久間さん?」と聞かれると、自分の美的感覚が問われているようでドキドキしたが、幸弘教授によると僕のセンスもなかなかいい線をいっているようだった。 

常設展だけでも到底見切れないんだけど、もうひとつの楽しみだった同じ公園内にあるセーチェニ温泉へ。入場料を払って、水着を借りて、個室で着替えた。あちらこちらに白衣を着た係員が立っていた。しかし、どこからみてもプールである。みんな水着を着て、寝転んでビールを飲んだり、ガイドブックにあるみたいにチェスをしていたり・・・。でも、泳いでいる人はいなかった。みんなぼ~としていたり、ゆっくりと水の中を歩いたり。天気もよかったし、とにかくのんびりくつろいだ雰囲気が最高だった。屋外のプール温泉は35度くらい。室内にはもう少し温度の高い小型のプール温泉やサウナ室があった。 

温泉から上がって、ふたたびベジの家へ。荷物をピックアップしていると、なんと彼がワインをプレゼントしてくれた。中身を見て、リラが「エッ!!」とびっくりしている。トカイ産の貴腐ワイン。高いらしい・・・。ベジの車で近くにあるブダペスト・ケレティ(東)駅へ。チケットはこっちで買う方が、ウィーンで買うよりかなり安かった。駅のプラットホームで、今回会えななかった留学時代の友人ジョルカ、ドルチェ、そしてハーディガーディ制作者・演奏者のバラージュと電話で話をした。その間に、誠さん、幸弘さん、藪ちゃんがケバブのはいったサンドウィッチを買ってきてくれた。行きよりもずっときれいな電車に乗り込んだ。リラとベジを電車が走り出すまで、ずっと見送ってくれた。またきっと来るよ!! 



車内で、明日からワークショップをする主催者のマリアさんに何度も電話するがなかなかつながらない。オーストリアへ入って、もうすぐでウィーンというところでやっと連絡が取れる。20時過ぎ、ウィーン西駅に着くと、ホームでマリアさんとI-Picnicメンバーのアナンさんが出迎えてくれた。マリアさんは音楽の先生だが、タイで暮らしたことがあり、その時にアナンさんからタイ音楽を習ったのだ。今回は、マリアさんが企画して、彼女の勤めるウィーンから南へ10数キロのペルヒトルツドルフにある音楽学校でワークショップをすることになっていたのだ。ホイリゲ(ワインを出す居酒屋)で有名な街とのことだ。町の中心にある2カ所のペンションに分かれることになった。僕と幸弘さんは、フェルナーというペンションにチェックインした。木目と白い壁がすてきな気持ちのいい宿だった。 


マリアさんがすぐ近くにあるホイリゲに案内してくれた。しばらくすると、夫で指揮者のトニーさんがやってきた。もちろん白ワインで乾杯。誠さんは飲めないので、ミネラルバッサー(水)。うーん、おいしい!。車の運転もおしゃべりもテキパキ・ハキハキのマリアさんといつもニコニコのトニーさん夫婦を見ているだけでも楽しい。トニーさんはイングランド生まれだが、ドイツ語圏での生活の方が長くなり、お母さんから「お前の英語はすっかりドイツなまりになってるよ!」と嘆かれているそうだ。マリアさんの説明で、明日の予定、出席者などが分かってきた。部屋へ戻ってからは、コーラのペットボトルからミネラルバッサーのペットボトルへ入れ替えたベジの自家製シュナップスで、幸弘さんとチビチビ。 

9月19日 
ペンションで朝食。おかみさんがいろいろ世話を焼いてくれる。何しにきたのかと言うので、食堂でちょこっと踊ると、喜んでくれた。歩いて誠さんたちのホテルへ向かうが道に迷ってしまい、マリアさんを呼び出す。すごく分かりやすいのに・・・。みんなで歩いて音楽学校へ。ワークショップの参加者は、この学校の先生やウィーンなど近隣の小学校の音楽の先生やその子どもたち10人くらい。土曜日の午前と午後3時間ずつ、日曜日の午前3時間、そして教会でプレゼンテーションという盛りだくさんの内容。僕たちにとってもクレムスでの前哨戦である。 



まずは、I-Picnicの活動の紹介。幸弘さんが撮影・編集したDVD「Over the Danau」と「I-Picnic in Krems」を見る。昼食はみんなで歩いていけるホイリゲへ。ワインもうまいがブドウジュースもうまい。料理はレジの近くで注文をして、自分で運ぶシステム。中庭のテーブルで、キノコのキッシュとサラダを食べた。庭には、ぶどうやナシがなっていて食べ放題。 

昼からは、アナンさん、僕、誠さんのそれぞれがリードする時間を設けた。みんなで庭へ出て野外即興をした。池に入ったり、木をゆらしたり、彫刻に登ったり・・・。教会の鐘がなると、鴨が一斉に飛んでいったりして、とても気持ちよかった。2年前のクレムスのワークショップ参加者もそうだったが、一度火がつくと盛り上がってなかなか終わらないのが、オーストリア人気質かもしれない。僕は、ここのところ自分のテーマになっている「波」「振り子」などをやってみた。 

夜は、アナンさんのリクエストで中華料理屋へ。タイ人でグルメの彼は、ご飯や麺がすぐに恋しくなるのだ。中華屋のおかみはカンボジア生まれらしく、カンボジアの話でアナンさんと盛り上がった。明日のプレゼンテーションにも来てくれることになった。料理は、う~ん・・・まあ?という感じだった。なぜかナシゴレンやミーゴレンというインドネシア語のメニューがあった。 

9月20日 
引き続きワークショップ。タイ語の5声(発音の高低)を利用した作曲も行なった。午後からは、教会でプレゼンテーション。ペルヒトルツドルフの中心にある古い教会が会場。誠さんは、教会のパイプオルガンに向き合って、メロディカの音を天井へ次々と放り投げた行った。アナンさんは上半身裸になって、ピアと言うカンボジアの楽器を、ココナッツの殻が共鳴体になった部分を胸に当てて、ささやくように歌いながらゆっくりと教会の内部を一周した。僕は、参加者と聴衆に向かって「波」を送った。波にさらわれてすぐにこけてしまう子ども、心地よく波に乗る音楽の先生、なんとか波を受け取ろうとする指揮者、みんなが「波」になった。 

夕方、やっぱりホイリゲへ。指揮者のトニーさんが、オーストリアでは書かれた音楽の教育ばかりなので、今回のような試みはとても意義があるし、僕の「波」の試みも指揮と関係が深いと言ってくれた。 
クレムスのフェスティバルから迎えがやってきた。大きなバンに乗り込んで、さあいよいよクレムスへ。 

高速道路を120キロで飛ばして1時間ちょっと、クレムスに到着。Arte Hotel(アート ホテル)。現代的な建築のホテル、2年前に泊ったアットホームなホテルとは大違いだ。ジュニア・スイートの部屋に幸弘さんと泊まることになった。よくデザインされた部屋だった。今回は、とことん幸弘さんとつきあう覚悟。この日もベジの自家製シュナップスで乾杯。 



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