2013年4月8日月曜日

さっくん! (2010/01/05)

1月2日 
高校の同窓会があった。高校を卒業してはじめての学年全体の同窓会。1987年に卒業して以来だから23年ぶり。担任だった藤上サンの退官記念パーティ,クラスの友人との小規模な集まり,僕の留学壮行会、同級生の近持クンや岩崎クンが亡くなった時の集まりなんかがあり,時々顔をあわす友人もいた。3年くらい前から,もうちょっとみんなで集まりたいね,という話が広がりはじめた。正月やゴールデンウィークに、帰省した友人を呼び出して,5人から15人くらいで集まって,何度か飲んだ。 

高校時代はハニカミ屋だった別所クンが20年経っておしゃべりに変身していた。仲が良かった僕は,高校1年からその素質は見抜いていたけど・・・。彼が,大同窓会の幹事役を買って出た。ラグビー部の別所クンとサッカー部の武田クンが中心となって、各クラスのとりまとめ役を選んで,何度かミーティングを開き,呼びかけの招待状を送った。結果,なんと卒業生の半分近い240名から出席したいと返信があった。担任の先生も12人中9人が参加してくれることになった。 

16時30分、阪急豊中駅近くにあるホテルアイボリーに到着。目が合った瞬間,23年前の記憶が一気によみがえってくる顔もあれば,しばらく経って,23年分の人生の襞を少しずつかき分けながらようやく高校時代と今とが結びつく顔もあった。それでも、みんなそれぞれの人生を刻んだいい顔になっていた。ロビーには,顔が分かっても,どんなトーンでしゃべったらいいのか、あだ名で読んだらいいのか,呼び捨てにしてもいいんだろうか、という微妙なとまどいの空気も流れていた。でも、同じクラブだったラグビー部の連中の顔が見えると,僕は理屈無しに思わずお腹にパンチを入れてしまった。肉体の記憶。スクラムハーフだった田口クンがおでこに手を当てて、「佐久間は,こっから下は全然変わってないなぁ。」とニヤニヤした。彼は、やたらにフサフサだった。横にいたのは,ナンバーエイトのまっちゃんか?!まっちゃんは、僕と一緒のサビイシイ系グループ。 

僕は,踊ることになっていたので,控え室で準備をした。パーティは17時に始まった。シンディ・ローパーのタイム・アフター・タイムから始まって,プリンス,デュラン・デュラン、ワムの曲が続いた。80年代半ばは,洋楽全盛時代だったのだ。選曲は軽音楽部の山本クン。司会はサッカー部の武田クン。同級生の前で踊るのは、いつもとは違う緊張感だ。うーん、緊張とは少し違う,何か覚悟のようなものが必要だ。いろいろなことを見透かされている人たちの前で踊る覚悟。みんなそれぞれの23年間を生きてきて,社会や家庭でそれなりに大切な役割を担っているのだろう。その彼らの前で,自分がどんなダンスを磨いてきたのか,それが試されるようだった。とにかく、ほとんどの同級生は,僕がよもやダンサーになっているとは、知らなかったのだから・・・。 

17時45分,笠原純子さんのピアノが始まった。ヨーロッパで賞を取ったり,世界的に活躍しているようだ。彼女のピアノの音を聞きながら,ゆっくりと味わいながら,舞台袖で,衣装を整えた。いい時間だった。会場は少しざわついていたが,ピアノの音は次第にうねりになって,響きはじめた。続いて,ガムランの前奏が始まると,僕は袖からスッと舞台へと上がった。なんと!200人が舞台を取り囲んでいて、最前列には、ラグビー部の連中が座り込んで並んでいた。高ぶる気持ちを抑え、ジャワ舞踊の世界,自分の世界へと下りていった。自分を消して舞踊自体になることとそれでも残る自分自身とをせめぎあわせながら,その交差するエッジを綱渡りして踊った。みんなが見つめる空気を感じて,楽しんで,それを揺るがし,切り裂きながら踊った。 

僕らの高校は文化祭が盛んだった。どのクラスも競い合って演劇や映画を作ったし,軽音楽部のライブも窒息寸前の視聴覚室で大いに盛り上がった。僕らのクラスは、1年の時は映画,2,3年では演劇をやった。2,3年と,僕は、女子にメイクをしてもらい,衣装を着て舞台に立った。その時と今とは、つながっているのか、いないのか。見ているみんなも、それぞれの記憶をよみがえらせていたかもしれなかった。ダンスの後,何人もが声をかけてくれた。20代や30代ではなく,40代になった今,届くメッセージというのがあるのかもしれない。 

2次会も,引き続き同じ会場だった。170名が残った。この日,僕はひそかな希望を持っていた。僕は,小学校6年の途中で引っ越し,同じ市内の別の校区の中学校へ行った。高校へ入ると,小学校の時の友達も見かけた。しかし、なぜかしゃべりかけることが出来なかった。中学の3年間で出来た自分の伸びシロの差異が,小学生のもっと無邪気で純真だった自分を知っている友達と話すことを邪魔していたのかもしれない。15歳の自意識は,垂直にどこまでも伸びて,自らを不自由にしていた。今日だったら,「あの頃は,なんとくしゃべりにくかったよなぁ。」と話しかけられそうな気がしていたのだ。 

隣のテーブルに、ててサンの顔を発見した。後藤田さん。ててと呼ばれていた。ハニカミ屋だった僕は,女子をあだ名では読んでいなかったような気もするが、今だったら,「ててサン!」と呼びかけられる気がしていた。テーブルへ近づいて行くと, 

「あっ、さっくん!!さっくん、久しぶりやな。」 

と、ててサンから声をかけてきた。そうや、僕はさっくんと呼ばれていた。ててサンは、「さっくん、さっくん!」と連発した。ててサンと僕は、同じ仲良しグループで,交換日記もしていた。「さっくんは、お母さんに見られるのがいやで,トイレで書いてたんやで。」と言った。僕は,そんなことは覚えていないけど,交換日記のことはよく覚えている。小学校以来だから,ほぼ30年ぶり。浅井さん,河合クン、坂和サンともしゃべったり,写真を撮ったり。「さっくんって、おかっぱの長髪で、運動神経の固まりって感じで,でもちょっと悪かったよな。」ふーん、そんなイメージが残っているんだ・・・。 

翌々日来たててサンからのメールによると、どうやら彼女は,高校時代に僕としゃべっていなかったのを忘れていたらしい。小学校の時のイメージがものすごく強く残っていたから、全然違和感無く「さっくん、さっくん。」と呼びかけられたそうだ。 

3次会は、駅前の居酒屋。最後は,20人くらいになった。高校1年の時に,同じ文化委員で一緒に映画を作った上畑さんは、実にいろんなことを覚えている。やっぱり翌々日に来た彼女からのメールによると, 

文化祭の打ち上げの中華料理店で、回転テーブルをいきおいよくまわしてしまい、醤油がこぼれ、「おまえ、はしゃぎすぎ!」と佐久間くんに叱られたこととか。(笑) 

っていうことがあったらしい。僕は結構昔のことを覚えている方だが,この記憶は無い。同じ時を過ごしたみんなが、それぞれに記憶に留めていることがある。久々に出会って、みんなの記憶の中のいる自分に出会うのは楽しいことだ。三周目の20年に入った今,ちょっと立ち止まって自分の歩いてきた道を眺めて,これからの道を進み始めるのも悪くないと思っている。30年前には,トイレで日記を書いていたのに,今ではこんな公開日記を書いている。年を取るって,すごいなぁ。

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