2013年7月12日金曜日

千の人、千の響き、千人が作る音の雲 (12/04/2010)


4月10日 
みんぱくで「Udlot-Udlot」の第1回目のリハーサル。フィリピンの作曲家ホセ・マセダの作品で、1000人が竹や声を使って演奏する。10月に、太陽の塔の下でやろうと準備中。マセダの弟子のアルセニオ・ニコラスさんが研究員として,みんぱくに来ているので,講師としてきてもらった。この日に集まったのは、イベントを主催する千里文化財団の織田さんと西澤さん、制作チームウドロ組(仮称)のHIROSさん、小島剛さん、岩淵拓郎さん、僕、それから、声をかけた友人たちで、総勢30名ほど。子どもたちも数名。 

まずは、竹を切るところから始める。楽器作りが終わったら,楽譜の説明,パート分け、パート練習。そして、リハーサル。曲は40分間。僕は拍子木のパートに入った。 

トントン トン トントン トン トントン トン 

延々と繰り返す。歩きながらでもいいし,踊りながらでもいい。みんなで気を合わせて,早くならないように気をつけながら。でも、40分もやっていれば,だんだん考えることもできなくなっていく。次第に,音や動きに身をまかせるようになっていく境地。 

竹や声のパートは、もう少し忙しい。今日は30名だったが,本番は1000人、30倍である。どんな音が立ちあらわれるだろうか。 

本番へ向けて,当面、毎月1回練習をします。練習に参加しなくて,本番だけの参加も可能ですが,万博公園はとても気持ちがいいので,ぜひ遊びがてら練習にお越し下さい。練習というよりピクニック、ウドロ・ウドロ ピクニック。毎回が、ピクニックのような練習です。練習に来た人が,友達を誘って,またピクニックにやってくる。増えるとますます音が面白くなって,もっとたくさんの音の雲が聞きたくなって,また友達を誘う。そんな連鎖が生まれるようになればいいなあ。 

次回の練習、いえ、ウドロ・ウドロ ピクニックは、 
5月15日 14時~16時 万博公園 民族学博物館(みんぱく)特別展示室前集合 
参加費は無料です。連絡をいただけると、みんぱくの入場券を先着順でプレゼントいたします。 
http://www.minpaku.ac.jp/museum/information/access.html 


長いですが,以下に、企画書の一部を載せます。 
制作チームのウドロ組(仮称)は、HIROS、小島剛、岩淵拓郎、佐久間新。主催は,千里文化財団。 

以下引用文 

・・・ ・・・ 

千のひと、千の響き,千人が作る音の雲 

ひとりひとりの作り出す音は単純だが、みんな集まると想像を超えた音の雲ができる。それは音を通した新しい経験、新しい音楽のかたち。 

わたしたちは下記の要領で、「ウドゥロッ・ウドゥロッ Udlot-Udlot」公演を計画しています。多数(目標1000人)の演奏者が必要なため一般の人々の参加者を募集したいと考えています。企画主旨をご理解いただき、参加者募集活動にご協力いただければ幸いてす。 

■公演名/みんなの音楽(仮) 
■演奏曲/ウドゥロッ・ウドゥロッ Udlot-Udlot (ホセ・マセダ Jose MACEDA、1975) 
■日時(候補日)/2010年10月23日(土)、24日(日)、30日(土)、31日(日) 
午後13:00~16:00(本番40分、リハーサル) 
■会場/万博公園お祭り広場 
■出演者/1000名 
■使用楽器 
カルタン(打ち合わせ棒)・・・300セット(径30×長さ400~500mm/5種サイズ) 
トンガトン(搗き棒)・・・400セット(径45mm~55×300~400mm) 
ウンギヨン(通気孔つきフルート/ギロを兼ねる)・・・400セット(径15~17mm×150~200mm) 
声・・・300 

■企画主旨 
 フィリピン人の現代音楽作曲家、ホセ・マセダ(1917~2004)によって1975年に作曲された「ウドゥロッ・ウドゥロッ Udlot-Udlot」には、「30人から数千人にいたる演奏者のための音楽」と付記されていま すが、この曲は専門的な音楽訓練のない人々でも演奏に参加することを当初から想定して作られたものです。 
 現代のわたしたちは、長い歴史をもつ伝統音楽はかろうじて残っているものの、ほとんどが西洋的システムに基づいて作られた音楽に取り囲まれています。また、音楽は他の生産物と同様に「商品」として生産され流通しています。しかし音楽は、専門家だけに委ねられるものではなく、本来、誰でも作ったり歌ったり楽しむことのできる人間の基本的な表現行為であり、人間のあらゆる活動と環境に密接なつながりをもつものです。東南アジア各地に広がる部族の音楽を調査したマセダは、そうした音楽の本来的意味と、西洋的システムとは異なる「東南アジア固有の音楽のアイデアを見いだし、それを基盤・出発点として新しい音楽をつくろうとしたのである。決してヨーロッパの模倣ではない、自前の音楽をつくることが彼の目的であった」(中川真)。その一つが今回の作品「ウドゥロッ・ウドゥロッ」です。マセダのこうした姿勢は、欧米のいわゆる現代音楽作曲家やアートに関心のある人々にも評価され、作曲された1975年にマニラで初演されたあと、日本(1991)、ドイツ(1995)、ブラジルなどでも演奏されました。 
 今回わたしたちが「ウドゥロッ・ウドゥロッ」を計画したのは、 
1.多くの人びとが一つの目的を共有し祭り空間を味わう。 
2.東南アジア固有の音楽思想を演奏を通して体験し、異文化の理解を深める。 
3.千人の作り出す濃密な音の響きを楽しむ。 
4.新しい音楽芸術のあり方を、聴衆としてではなく演奏することを通して体験する。 
5.公演本番までのワークショップの積み重ねを通して恊働の意味を考え直す。 
6.壁を取り除く-障害者、外国人など 
 以下は、作曲者自身がこの作品について述べたものです。 
-----この音楽は単に無数の人びとが一つのメロディーを演奏したりうたう国歌のようなものではなく、むしろ多くの人びとにそれぞれ異なる音を演奏してもらうことによって、その音を拡大したり音量を大きくしたりしないで音を屋外でばらばらに散乱させるような音楽なのだこの音楽をこれだけ多人数に分担してもらうためには、演奏するものが単純な音で、しかも音楽が単純すぎて魅力のないありきたりのものにならないようにしなければならない。・・・ここでの重要な音楽要素は音の反復あるいは連続の原理の使用であり、これがこの作品の基本構造をなす。・・・この音楽を楽聖に演奏させることには、新しい境域的な価値がある。『ウドゥロッ・ウドゥロッ』のなかで一対の棒によって演奏されるリズム・パターンは、連続した三音、休止一つに続く一音で、全体では五拍のリズム・フレーズになる。五の単位で数えることは東南アジアの多くの音楽でも、また大部分の西洋音楽でもなじみのうすいものである。五拍リズムの意識は演奏者にも聴衆にもひとしく時間の別な尺度を紹介し、そこから物事の新しい秩序、あるいは人びとの別な思想や秩序にみちびくような新しい考え方を知らせることになる。楽器による「ピッチのない」音(あるいはうたえない音)や、音楽をするのに安価な地元の楽器をつかうこと、一音だけのメロディーという概念、リズムのない音楽や、音符のかわりに数字と記号の組による楽譜をよむことにも、教育的な価値がある----『ドローンとメロディー 東南アジアの音楽思想』(ホセ・マセダ著/高橋悠治編・訳、新宿書房、1989) 
【ホセ・マセダ José MACEDA(1917~2004)】 
 マニラに生まれる。パリのエコール・ノルマル音楽院でピアノ、作曲理論、アナリーゼを学び、その後フィリピンでピアニストとして活動。コロンビア大学で音楽学、ノースウェスタン大学で人類学を学ぶ。1952年頃よりフィリピンの民族音楽のフィールドワーク。1954年頃にミュジーク・コンクレートを手がけ、1958年にパリ国立放送局のミュジーク・コンクレート・スタジオにて制作、ここでピエール・ブーレーズ、カールハインツ・シュトックハウゼン、イアニス・クセナキスらと知り合う。1963年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)にて民族音楽学の博士号を取得、同じくこの頃より作曲活動を本格化、マニラにて、エドガー・ヴァレーズやブーレーズ、クセナキスなどの作品を指揮・演奏するコンサートを1969年まで開催。 
 民族音楽学者として、東南アジアの音楽のフィールドワークを行い、多数の論文を発表する一方、東南アジアの楽器を用いた作曲を手がける。主な作品に、116人の楽器演奏者、100人の合唱と25人の男声のための「パクサンバ」(Pagsamba, 1968年)、100台のカセットプレイヤーのための「カセット100」(Cassettes 100, 1971年)、20のラジオ局のための「ウグナヤン」(Ugnayan, 1974年)、数百人から数千人のための「ウドゥロッ・ウドゥロッ」(Udlot-Udlot, 1975年)、10のフルート、10のバリンビン、10の平面ゴングのための「スリン・スリン」(Suling-Suling, 1985年)など。1990年代以降は管弦楽のための「ディステンペラメント」(Distemperament, 1992年)、管弦楽のための「リズムのない色」(Colors without Rhythm, 1999年)など、管弦楽やピアノのためにも作曲した。(Wikipediaより) 

・・・ ・・・

    0 件のコメント:

    コメントを投稿