2013年8月27日火曜日

介護とダンスとカエル (23/06/2010)

6月22日 
午後から、奈良のたんぽぽの家へ。「言語から身振りへ」ふれあう回路開発というプロジェクトの第1回の集まりがあり、僕はその委員に選ばれていたのだ。ことばを介さないコミュニケーションというのを考えよう,そして磨こう。そのためのワークショップも開発できたらいいね、ということなのかな。僕は,障がいのある人や子どもと即興で踊ったり,街や自然を感じながら踊るのも大好きなので,委員に選ばれたんだろう。だって、ダンスはまあ、言葉を介さないコミュニケーションだもん。 

たんぽぽの家のギャラリーHANAの1階のカフェで,舞台芸術プロデューサーの志賀玲子さんに久々にあった。以前会った時に比べて,とてもすっきりした顔だった。阪大のコミュニケーションデザインセンターの任期が終わって,ほっとしたとのこと。横の机では、2台のマックをつないで,細馬宏通さんがなにやらうなっている。マックが死にかけているそうだ。細馬さんとも久しぶり。以前,エイブルアートの冊子のために、僕にインタビューをして以来,ダンスに関する批評を頼まれることが増えたそうだ。細馬さんは、かえる目というバンドでボーカルをやっているので,僕は思わず,カエルの話を始めてしまった。ここのところカエルに取り付かれているのだ。 

細馬さんは、かえる目というバンドもやっているが,もともと生物の生態を観察するのが専門なのだ。最近は,人間の観察をしているらしい。だから、ダンスの批評も書けるんだろう。で、僕はカエルの話を始めた。 

おとといの夕方、フィリピン人音楽考古学者のアルセニオ・ニコラスさんが我が家へやってきたんですよ。ガムランとカエルの音を聞きに。彼は,1980年代にソロへ留学し,ガムランを学んだんで、僕とはこてこてのジャワ訛りのインドネシア語で話すんですよ。で、さっそく、自慢!のモリアオガエルの卵を見に,神社の前の池へ行って、参道の階段に座って耳をすましたんです。前の田んぼから,池の中から、いろんな種類のカエルの声が聞こえてくるんです。でも、なんだかちょっと違うんです。こころが沸き立ってこない。あれだけ、ここのところ僕をトリコにし続けてきたカエルの声が、もう終わってしまった、って感じなんですよ~。と、ほんとはもっと長いけど、だいたいそんなことを細馬さんと志賀さんに話した。すると、細馬さんが、それはね、卵を産んだからですよ,と答えてくれた。なんと、僕は、メスを呼ぶカエルのオスの声にほだされ続けていたのだ。5月以来、1ヶ月半近く。僕は,取り付かれていたのだ,カエルに!しかも、オスに!! 

・・・ ・・・ 

5月5日の今年最初のカエルに関するつぶやき 

豊中の実家の前のクスノキが衣替え中。新緑が水銀灯に光ってる。今日は,バティック(ジャワ更紗)の半袖シャツで出かけた。腕が火照っているが、夜になって吹く風がさましてくれる。地面に落ちたクスノキの乾いた葉っぱがカサカサいっている。 

豊能の我が家へ帰ってくると,トノサマガエルがシャウシャウシャウと大合唱。連休中に田植えがかなり進んだみたい。かすかに稲の匂いか,緑のニオイが風に運ばれてくる。 

・・・ ・・・ 

16時の予定時刻を少し回って,みんなで2階へ上がって,「言語から身振りへ」の集まりが始まった。細馬さんが、高齢者のケアハウスでの映像を見せてくれた。立ち上がるのが嫌なおばあさんがどうやって立ち上がったかという映像。介護の人の動きを細かく分析したプリントが配られる。介護している当の本人も気づかないほどのささいなこと、あるいは偶然的な要因も重なって,おばあさんはうまく立ち上がるのだ。ベテランのうまい介護者は、からだでそのことが分かっていて,自然にうまく動いてしまうのだ。ゴール前での、C ロナウドのように。 

食事を終えたおばあさんは、なかなか食器の片付けをせずに,食卓に座っている。食器を片付けるように声をかけられたおばあさんは,思わずお盆に手をかけ,立ち上がろうとするが,お盆を持ったままではうまく立ち上がれない。声をかけた介護者(と観察者の細馬さん)は、お盆を元のテーブルに戻すように言うが,おばあさんは聞かない。介護者は思い直して、お盆を、流しに近いもう一つのテーブルに置くように言う。すると、おばあさんはからだを回転させて,お盆を横のテーブルに置く。そして、介護者はさらに、お盆が落ちないようにテーブルの奥へ押すように言う。すると、おばあさんの右手が思わず盆から離れ,上体が前のめりになる。そこでおばあさんは立ち上がろうという思いが再びわき上がり,両手をテーブルにかける。その動きをとらえて、介護者はそっと背中に支え、おばあさんが自ら立つのをうまくフォローする。 

僕から見れば,即興ダンスと同じである。一旦あげたお盆は、元に戻すよりは活かしたい。流しにすこし近づけることによって,行為にプラスの意味が生まれる。うまくダンス(立ち上がること)に導きたいけど,手を取って,無理に踊ってもらっても,こころは踊らない。僕が,障がいのある人とダンスをしようとする時,僕は、彼らの手は取らずに,誘いかけたり、揺さぶったり,時には無視したりしてみる。こころをくすぐってみるのだ。もしなにかのはずみで、相手のからだの重心を動かせたら,それはダンスの大きなきっかけになる。少し動き出せば,あとはちょっとフォローすればいい。すこしづつ動きを共振させて行けばいい。 

細馬さんの発表の後で、出席者がいろんな感想を言いあった。たんぽぽの家の理事長の播磨さんは,老人は別の時間感覚を持っているんだから,それを尊重することも必要だ、と言った。会議室のバルコニーからよく見える西ノ京苑(特別養護老人ホーム)の館長やスタッフからは,最近の老人ホームは、きめの細かい介護が進んでいて,一方的に声かけをするんではなく,ご飯でも一緒に食べながら,日常会話をするんですよ、とか。朝食の場の雰囲気は,夜勤をしたスタッフによって、全然変わるんですよ、とか。なんとかして人生の最後を送るのにふさわしい場所を作り出したい、という思いがすごく感じられた。 

介護とダンスとカエルに、接点が生まれそうな予感。

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